
マレーシア・ボルネオ島サラワク州の州都クチン(Kuching)。「猫の街」として知られるこの街を歩いていると、ふとした路地の角や古いショップの壁に大きな絵が現れます。
このウォールアートを見るのもクチン観光の楽しみの一つですが、それらはただのフォトスポットだけではありません。壁画のひとつひとつにこの街の歴史の記憶が刻まれています。消えゆく職人の技、移民たちの暮らし、多民族が共存してきた歴史──クチンの壁はそれらを私たちに語ってくれています。
この記事では、実際に歩いて回れる動線に沿って、エピソードとともに10のウォールアートスポットを紹介します。
- マレーシアのウォールアート事情──ペナンからボルネオへ
- クチンのウォールアートが特別な理由──地元アーティストLeonard Siaw
- 散策マップ──ウォーターフロントから旧市街、パダンガンへ
- ① Sampan, The River Taxi──噴水を川に見立てた仕掛け
- ② Electra House壁画群──学生たちが描いたクチンの賑わい
- ③ Different Cultures, Same Ice Cream──違う民族、同じ笑顔
- ④ Early Mercers──市長の祖父が描かれた壁
- ⑤ Symphony of the Tinsmith──音が聞こえてくる壁画
- ⑥ I Heart Kuching──病と向き合う女性と、猫の街のシンボル
- ⑦ #tanahairku「Menua Kitai」──サラワクの子どもたちの顔
- ⑧ #tanahairku「Harmony」──旧市街の顔!ホーンビルの壁画
- ⑨ Jazz Musicians──多文化の交わりを感じる音楽祭の記録
- ⑩ Jalan Padungan 7連作──100年の歴史を丸ごと壁に刻む
- おわり
マレーシアのウォールアート事情──ペナンからボルネオへ
マレーシアでウォールアートが一気に注目を集めたのは、2012年ごろのことです。ユネスコ世界遺産に登録されたペナン州ジョージタウンで、リトアニア人アーティスト Ernest Zacharevic (アーネスト・ザカレビッチ) が描いた「自転車に乗る子どもたち」がSNSを通じて世界中に拡散されました。

その波は、マレー半島を越えてボルネオ島にも届きます。2014年、同じザカレビッチがクチンに招かれ、街の壁にオランウータンを描きます。

そしてこれをきっかけに、クチン独自のウォールアートの物語が始まりました。
クチンのウォールアートが特別な理由──地元アーティストLeonard Siaw
2015年、クチン北部市街地管理委員会(DBKU)が「History on Wall(歴史を壁の上に)」という旧市街の通りに息づいてきた商売人の歴史や庶民の暮らしを壁画の上に記録していくプロジェクトを立ち上げま。
このプロジェクトの中心を担うことになったのが、クチン生まれの壁画家 Leonard Siaw(レオナルド・シアウ) です。
もともとグラフィックデザイナーだった彼は、「もっと何かを成し遂げたい」という衝動に駆られ壁画家に転身。旧市街の通りを歩き、老舗の店主や年配の住民たちに話を聞いて回ります。その取材と対話の積み重ねが、彼の作品として昇華されました。
「壁画は物語だと思っています。失われゆく職業を描くことで、私自身もこの街のことを、自分が思っていたよりずっと知らなかったと気づかされました」 ──Leonard Siaw (Zuihitsu インタビュー記事より)
現在、彼の作品はクチン市内を中心にマレーシア各地、さらにボストン、メルボルンにまで広がっています。
散策マップ──ウォーターフロントから旧市街、パダンガンへ
📍 ウォーターフロント西端(①渡し船Sampan, The River Taxi)をスタートに、旧市街を東へ進み、最後にパダンガン・ストリートで締めくくる徒歩2〜3時間のルートです。すべて徒歩圏内。
① Sampan, The River Taxi──噴水を川に見立てた仕掛け

場所:Lebuh Jawa(ジャワ・ストリート)、噴水脇の壁
手前にある実際の噴水を「サラワク川」に見立てた構図が秀逸。壁の中の渡し船が川の上を進んでいるように見えます。かつてサラワク川の対岸を結んだサンパン(木造の渡し船)と、その船頭「ペナンバン」の歴史を記録した作品です。今もサンパンは観光用渡し船として対岸のフォート・マルゲリータへ渡ることができ、壁画の過去と現在がここで重なっています。
② Electra House壁画群──学生たちが描いたクチンの賑わい

場所:Jalan Power(ジャラン・パワー) 、Electra House(エレクトラ・ハウス)周辺
水色の建物の壁に、大きなホーンビル(サイチョウ)が羽を広げ、電線の上にはテングザルがどっかりと腰を下ろし、その下の屋根には猫が2匹。イバン族の伝統衣装を着た人物や、靴職人、バスカー(大道芸人)、旧式の青いバスなど、クチンの街の昔の賑わいが一面に広がっています。

この壁画群は2017年4月、UiTMコタ・サマラハン校の芸術デザイン学科の学生約20名が、旧市街の遺産と自然をテーマに描いたものです。ボルネオ固有のテングザルと「猫の街」クチンの象徴である猫が同じ壁に共存しているところがなんともユニーク。
③ Different Cultures, Same Ice Cream──違う民族、同じ笑顔

場所:Open Air Market(オープン・エアー・マーケット)前
サラワクの各民族の衣装を着た4人の子どもたちがベンチに座り、グラ・アポン(ヤシ糖)がけのアイスクリームを頬張っています。子どもたちの服の色を合わせるとサラワク州旗の配色に。Leonard Siawが「異なる文化を持つ人々が同じものを分かち合う」姿を描きました。すぐ隣の屋台では実際に同じアイスクリームが食べられます。壁画の絵と同じものを実際に味わえる、クチンらしい体験スポット!
④ Early Mercers──市長の祖父が描かれた壁

場所:India Street(インディア・ストリート)、旧裁判所向かい
1930年代に繊維業を営んだ先駆者、Wee Aik Oh と Sayed Ahmad の肖像。実はWee Aik Ohは現クチン南部市長の祖父で、市長自らがこのプロジェクトを支援しました。中国系とインド系ムスリムの二人が同じ通りで共に商いをしてきた事実は、クチンの多民族共存の歴史そのものです。
⑤ Symphony of the Tinsmith──音が聞こえてくる壁画

場所:China Street(チャイナ・ストリート)
80代・60代・40代の三世代の鍛冶師が並ぶ壁画。チャイナ・ストリートに踏み込んだ瞬間、金属を叩く音が聞こえます。Leonard Siawの亡き祖父も鍛冶師だったとのことで、特別な想いで描いたことでしょう。この通りの現役鍛冶師はわずか数名ですが、今も壁画のすぐそばで金属を叩く音が聞こえます。

⑥ I Heart Kuching──病と向き合う女性と、猫の街のシンボル

場所:Jalan Wawasan(ジャラン・ワワサン)
街のシンボルでもある猫を優しく抱きしめる女性の大きな肖像。描かれているのは実在の人物で病と闘いながらその体験を著書につづった女性です。2022年の国際ウォールアートアワード「Street Art Cities Best of 2022」にノミネートされた作品。
⑦ #tanahairku「Menua Kitai」──サラワクの子どもたちの顔

場所:Wayang Street(ワヤン・ストリート)沿い
白黒で描かれた、サラワク各民族の子どもたちの大きな顔。クチンを拠点とするアーティスト集団「9Lives」が制作した「#tanahairku」シリーズの一作で、タイトル「Menua Kitai」はイバン語で「われらの地」という意味。子どもたちのまっすぐな表情が「この土地に生きる」というメッセージをストレートに伝えています。
⑧ #tanahairku「Harmony」──旧市街の顔!ホーンビルの壁画

場所:Wayang Street(ワヤン・ストリート)とMain Bazaarの角
大きなホーンビル(サイチョウ)と「Harmony」の文字。2015年のマレーシア・デーを記念して制作された「#tanahairku」シリーズの代表作です。ホーンビルはサラワク州の象徴であり、ダヤク系先住民族の間では「神の鳥」として崇められてきた存在。サラワク川を向いて立つ立地から、旧市街の顔とも言える壁画です。
⑨ Jazz Musicians──多文化の交わりを感じる音楽祭の記録

場所:Riverside Majestic Hotel (リバーサイド・マジェスティック・ホテル)外壁
トランペット、サックス、コントラバス、そして サペ(サラワク先住民族の伝統弦楽器)を演奏する4人の奏者。2022年クチン・ウォーターフロント・ジャズ・フェスティバルのために制作されました。西洋楽器と伝統楽器が並ぶ構図が、クチンの多文化性を象徴しています。
⑩ Jalan Padungan 7連作──100年の歴史を丸ごと壁に刻む
場所:Jalan Padungan(パダンガン・ストリート)全体
2026年、開通100周年を迎えたパダンガン・ストリートに、Leonard Siawが7枚の壁画を次々に公開しました。漁師コミュニティ、涼茶(リャンテー)の醸造、自転車販売・修理業、競馬文化、月餅職人、鍛冶師、紅亀粿(アン・クー・クエ)職人──いずれもこの通りを築いた移民たちの生業です。







「7枚の壁画の依頼を受けたとき、最初に頭に浮かんだのは壁でも絵の具でもなく、『責任』という言葉でした。パダンガンはただの通りではない。100年分の記憶、苦闘、希望、そして人々の生活を背負っています」──Leonard Siaw (パダンガン100周年壁画除幕式にて)
おわり
クチンの壁画は、ボルネオの強い日差しとスコールにさらされ日々変化していきます。だからこそ、ぜひ一度足を運んでみてください。路地の角を曲がるたびに、思いがけない物語と出会えるはずです。
Leonard Siaw 人物・作品全般
- The Edge Malaysia「Telling stories through walls of art」(2023年6月22日)
- Zuihitsu Magazine「Meeting Leonard Siaw」(2024年11月)
- Borneo Post「Street art breathes life to forgotten alleys, streets」(2021年9月19日)
- Tony Johor Kaki「Leonard Siaw Kuching Mural Artist」(2025年9月)
① Sampan, The River Taxi:Wanderlog「Street Art “Sampan, The River Taxi”」
② Electra House壁画群: DayakDaily「Experience a delightful street artsy tour of inner Kuching city 」
③ Different Cultures, Same Ice Cream: Swinburne University「Street Murals Brings Kuching’s Unique Community to Life」(2023年7月)
④ Early Mercers: 360Tour.Asia「The Early Mercers Street Art at India Street Kuching」
⑤ Symphony of the Tinsmith: Borneo Insider’s Guide「Kai Joo Lane Night Market – On The Heritage Food Trail」(2017年)
⑥ I Heart Kuching
- DayakDaily「Sarawakian artist Leonard Siaw’s mural in Kuching nominated for Street Art Cities’ Best of 2022 award」(2023年1月19日)
- Street Art Cities「I heart Kuching by Leonard Siaw」
⑦⑧ #tanahairku(Menua Kitai・Harmony)
- Sailing Stone Travel「Street Art: Kuching」(2019年)
- Neue Magazine「Kuching’s Thriving Street Art Culture」(2020年)
- Doing Life with Iuliya「Kuching: Most Instagrammable Street Art in the City of Cats」(2019年)
⑨ Jazz Musicians
- The Star「Special mural highlights Kuching jazz festival」(2019年7月22日)
⑩ Symphony of the Tinsmith
- 360Tour.Asia「Leonard Siaw Street Art – Symphony of the Tinsmith Mural at Carpenter Street Kuching」
- DayakDaily「Symphony of the tinsmith」(2018年12月29日)
⑪ Jalan Padungan 7連作
- DayakDaily「Padungan turns 100: Seven heritage murals celebrate roots, resilience, cultural pride」(2026年2月12日)
- Borneo Post「Padungan marks 100 years with heritage murals, conservation efforts」(2026年2月12日)
- Borneo Post「Mural maestro embarks on third masterpiece in Padungan」(2024年4月16日)
- DayakDaily「Artist Leonard Siaw hopes to bring back Padungan’s yesteryears with ‘lumba kuda’ mural」(2024年)
- Sarawak Tribune「Jalan Padungan Unveils Murals For 100-year Milestone」(2026年2月12日)

